スペインの旅。これは20代だった私の生まれて初めての海外旅行でした。でも初めからスペインに行くつもりだったのではなく、古代の遺跡にあこがれていた私は、初めての旅にエジプトを選んだのです。それもカイロからアスワンハイダムまでナイル川を船で辿る旅でした。エジプトに関する沢山の本を読み、準備万端だったのですが、突然近くの国で爆弾テロがあり、ツアーが中止になってしまいました。そこで一緒に行く予定の花ちゃんと選んだのはスペインの旅でした。10日間かけてマドリッドからラマガへバスで移動するのです。写真の色も あせてしまうほど遠い昔のことですが、今、私の頭の中には鮮明にこの旅のことが蘇ってきます。黄色の銀杏の絨毯を敷きつめたレティロ公園、短い時間の中で2度も通ったプラド美術館、コルドバの裏町に流れるギターの音色、アルハンブラ宮殿から見たシェラネバダの山々。そして何より素晴らしかったのはバスで立ち寄る小さな村々の人たちです。そんな思い出を書き留めてみようかなと思います。


ラ・マンチャ地方でのこと
 その日はラ・マンチャ地方の小さな街、シューダド・リアルに泊まることになっていました。ここは安全だから、ホテルに入る前に自由に歩いてみたい人はここで降りてくださいといわれ、ホテルの名前を書いた紙をもらい、ホテル前を通る路線バスの時間を聞いて降りました。でも降りたのは私と花ちゃんだけ。何もない田舎の街でしたがのんびりと散歩を楽しみ、さてホテルに帰ろうとしました。でも、でも、でも・・・バス停がわからなくなってしまったのです。そこで体格の良い中年の女性にホテルの名前を見せ、そこに行くバス停を聞いたのです。勿論、こんな田舎ではスペイン語しか通用しません。でもガイドブックのスペイン語をカタカナ読みすればスペイン語は通じてしまうのです。その女性はわかったとばかりに大きくうなずくと、大きな声でものすごい勢いでスペイン語をまくし立てるのです。でも、この国に来るまでスペイン語など話したことも聞いたこともない私達に、本を見ながら聞くことはできても、返事を理解することなどできるはずがありません。するとその体格の良い女性は、折れそうに細い(その頃は)私の腕を、二度と放さないとばかりに強く掴むとすたすたと早足で歩きはじめます。細い道を抜け、どこかの家のパティオを通り抜けて、何もいわずに引きずられるように着いていく私を連れて歩くのです。どこかに売られてしまうのかも知れないと言う期待(?)と不安でいっぱいな顔で花ちゃんも着いてきます。いくつかの裏道とパティオをぬけた時です。バス停が現れました。ホットして覚えたてのお礼の言葉を言いましたが、その人は立ち去ろうとはしません。やがてバスが来ました。前のドアーが開き私達を乗せるとまたもや大きな声で運転手さんに何かを言っています。きっと「何々ホテルで降ろしてね。」といってくれたのだと思います。バスの中の乗客はシーンと固まったように私達を見つめ、後ろの席へ座ろうと移動する私達の移動に合わせてみんなの首がゆっくりと回り始めるのです。それは良くある映画の中の1シーンのようでした。私達が座るとみんなの首は元に戻り、またがガヤガヤとおしゃべりが始まりました。この賑やかさは日本のバスの中では考えられません。少し走って私と花ちゃんが「あっ、あのホテルだ」と気が付くと同時に、また乗客全員がおしゃべりを止めこちらを向き、窓の外を指さし私達に向かって叫びだしたのです。「ほらあそこだよ!」と叫んでくれたに違いありません。この時初めて私と花ちゃんは緊張の糸もほぐれ、にこやかな笑顔を残してバスの人々とお別れしたのでした。いつまでもバスに向かって手を振ったときの安堵の気持ちと、親切な人々への感謝の気持ちが、今でも鮮明に思い出されます。


フラメンコとギター
 グラナダのレストランでお昼をとっているときのことです。そこに流しのギター弾きがやってきました。ここで食事中なのは私達日本人グループと、地元の人らしい家族連れだけでした。勿論そのギター弾きは私達の方が目的でやって来たわけです。チップをもらって演奏が始まりました。もの悲しいギターの音色にうっとりとお食事をしていると、突然、お隣の家族連れの子供さんが一人二人と立ち上がってフラメンコを踊りだしたのです。それに続いておばあちゃんらしき人もお母さんも踊り出しました。私達観光客を意識してのことでもなく、ただ自然にギターの音の合わせて踊りたくなってしまったという感じでした。小学生くらいなのですがなかなかどうにいった踊りでした。勿論服装は普段の洋服です。でも、マドリッドで見たフラメンコショーよりずっと本当のスペインを感じた踊りでした。終わったとき私達はみんなで思わず拍手してしまったのですが、その子達は改めて私達に見られていたと気づいた様子で、とても恥ずかしそうでした。
 また夕暮れのコルドバの町を歩いているときです。白い壁にお花を飾った家々の間からギターの調べが流れてくるのです。まるで観光客のためにどこかで流して演出しているかのように。でも歩いている内にわかったのですが、小さな公園やそれぞれの家にあるパティオのイスに座って、あちらでもこちらでも、ごく普通の青年が何気なく弾いているだけなのです。お友達が来れば弾くのを止めておしゃべりしたり、たばこを吸ったり・・・・
こうして今でもスペインの人々の中にはフラメンコもギターも生活の中で自然に楽しむものなのです。日本では民謡が流れてきたからと思わず踊りを踊ってしまう人がいるでしょうか。
 スペインでは会社や学校からお昼にはいったん家に帰り、ゆっくりと時間をかけてボリュームのある昼食を楽しみ、4時まで長ーいシェスタ(昼寝)をとります。会社や学校は勿論、お店や美術館も閉まってしまいます。そして夕方からまた仕事や勉強をします。夜になるとお母さんと子供達が街角に立ってお父さんの帰りを待っている姿を多く見ました。お父さんと合流するとその辺にあるタベルナという簡単なレストランに行き、イワシやイカを揚げたものや、ポテトやまめなどの簡単な夕食をとるのです。町はにわかに活気づき、大人達は夜遅くまで町に溢れていました。フラメンコショーなども夜中の1時2時にならないと良い出し物をやらないのです。ですからシェスタの時間も公園など閉まらないところを歩きまわっている日本人は、フラメンコギターを子守歌に居眠りをしています。こんな観光客のために、最近はシェスタもとらないお店も増えているとか・・・・。でも郷に入ったら郷に従えで、観光客がシェスタをとればいいことで、やはりスペインの人々にはシェスタをとって欲しい気がします。「貧しくともワインとバラがあれば幸せ」というスペインの人の心の豊かさが、シェスタを無くすと同時に消えてしまいそうです。


どうしておおらかさが消えないの?
 コルドバやセリビヤ、ラ・マンチャ地方の家々は石の壁がきれいに白く塗られています。バスで旅していると、赤い土とオリーブのグリーンの中を何時間も走ることがあります。その先に真っ白な家々が集まっている集落を見つけるとなぜかホットしたものです。この壁をいかにいつもきれいに保っているかがそれぞれの家の誇りとか。小さく削れた跡をよく見ると、何回も何回も塗り重ねられた後が見られます。それなのによく見かけるのが、このきれいに保っている石の壁が大きくえぐられているところがあるのです。現地ガイドさんに聞いてみると、昔、馬車が走っていた頃、車軸や荷台が出っ張って通れないと、このように削って通したそうです。今も車同士、車と家が少しぐらいぶつかっても、命に別状がなければ日本のように騒がないようです。
 ある夕暮れ、花ちゃんと私が霧雨の中、傘をさして歩いていました。すると道の端のベンチに座っていた若者2,3人が、ワーワーとこちらを見て言うのです。なんだか恐いので無視しようとしたのですが、こちらに近づいてくる様子はなく、彼等はなにやら身振り手振りで何かを示して笑っているのです。どうも「このくらいの雨ではかさなんかいらないよ」といいたかったようです。傘をつぼめると彼等もにっこり納得顔で頷いてくれました。ちょっとお節介な気もしますが、おおらかな彼等にすれば、このくらいの雨で傘を差すことの方がおかしかったのでしょう。
 でも色々な国に支配され回教になったりキリスト教になったり、幾たびもの戦架をくぐり抜けてきた事はゴヤの絵を見たり、コルドバのメスキータを見てもよくわかります。それでもこのおおらかさが失われないのはどうしてでしょう?


この旅で私は初めて一眼レフカメラ、広角レンズを使いました。
もうあまりに古いので色も褪せてきましたが
スキャンしてみました。。

スペインのアルバム
マドリッド 
プエルタ・デル・ソル
トレド
トレドは、何百年も昔、画家エル=グレコが描いた、「トレドの風景」とほとんど変わっていないという街で、要塞のようになっている街の中で、トレド大寺院がキリスト教王国だった昔日の栄華を象徴しています。
タホ川が巡る海抜530mにあるスペインの古都トレド
道路が狭く、迷路のようにできているトレドの町
エル・グレコの心のふるさと
ラ・マンチャ地方
今にもドン・キホーテとサンチョ・パンサがやってきそうです。
花の町コルドバ
コルドバを西方のメッカとするために灰色の壮大な寺院が造られた。しかしのちにフェルディナンド大王やカルロス5世によってキリスト教教会になおされ回教とキリスト教が混在した寺院となって居る
メスキータ


オレンジのパティオ
回教の面影を残す
路地の向こうに  
メスキータ
グラナダ アルハンブラ宮殿

   
窓の外は ジプシーの丘



遙か彼方にシェラネバダ山脈

ミルトスの中庭
アルハンブラ宮殿は砂漠の民アラビア人がここに水と緑の楽園を作った
地中海に面したMijaの街
ラストロ(のみの市)

戻 る