八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : 旅行

カテゴリー : 旅行

このカテゴリーの登録数:93件 表示 : 81 - 90 / 93

Aug 27, 2008

小さな夏休み 妻籠脇本陣(屋号・奥谷)

 妻籠宿のそぞろ歩きの最後は脇本陣に入ってみます。本陣は一度取り壊されて、その後近年復元されたものですが、こちら脇本陣は代々林家が勤め、木曽五木の禁制が解かれて、明治10年に総檜に立て替えられて、それが現在まで残っているものです。囲炉裏の間から上がりますが、黒光りした床や黒々とすすけた太い柱。まずは2階をご覧下さいと言われ、二階から見学。おりてくると「よろしければ少しお話をさせていただきますが」と声の綺麗な女性が声を掛けてくださいました。            
 囲炉裏端に座ってお話を聞きますが、まずは座る場所の説明から。この方が座っているのが下座で、私たちが座っているところが上座です。タンスの前は女性の席で、ゴザをめくると半分は畳がなく板の間で、ここは嫁の席です。そして囲炉裏にくべてある薪を見ると、上座にすべて火のついた方が向いています。これは当主に暖が行くように。そして下座に衝立があるのは、これで風を防ぎ、当主に煙が行かないようにとの気遣い。実際煙にまみれているのは説明係の女性です。流暢な説明に納得もし、封建時代の厳しさを感じましたが、果たして我が娘は何を感じているやら。そして次に実際上座と下座に座って暖かさの違い、上座の前に置いてる一本の木で、いかにあぐらをかきやすいかを体験してみます。

         もしも我が家にこの囲炉裏があったら、誰がこの席に座るのかな?
 次は立って各お部屋の説明です。明治13年の明治天皇御巡幸のおりに休憩をされたお座敷には古い机のようなガタガタのテーブル。当時洋式のテーブルがどんなものか分からずに、にわか仕立てで作ったそうです。天板をひっくり返すと墨で天皇陛下がご使用になった旨が書いてあるので分かるものの、そうでなければ捨ててしまわれそうなテーブルでした。それに井戸水を汲んだ桶、一度も使われなかった白砂を敷いた厠等が残っています。確かその頃明治天皇は我が家の近くの七賢にも・・・と言うと「そうです、山梨からこちらにいらっしゃったのです」と。
 そしてここが藤村の「初恋」のモデルになったおふゆさんの嫁ぎ先でもあります。おふゆさんの愛用品や、絶筆となった藤村の貴重な資料等も展示してありました。あまりに説明が細やかで流暢なので、ここでお話に聞き惚れ、写真を撮るのを忘れました。形なけれど、色々勉強になること沢山聞かせてくださいました。感謝。
 妻籠の近くには、木曽川の発電所開発を行っていた福沢諭吉の養子・福沢桃介が別荘として大正8年に建てた建物が残っているそうです。ここには行きませんでしたが、民宿の大女将さんの話では、「日本の女優第一号」とも言われる川上貞奴が、夫・音二郎の死後、福沢桃介と再会し、以後パートナーとしてここで共に暮らしており、時折舞踏会が開かれ、村の子供達がそれを窓からのぞき見てビックリしたとか。そんな話を聞くと、この山深い木曽の地に、藤村の書いた「夜明け前」と「夜明け後」を見る思いがします。

小さな夏休み 妻籠宿をそぞろ歩く

 朝食の後、荷物を置いて妻籠宿を歩きます。昨日見た夕暮れの景色とは違って、明るい日差しの中、軒先のお花や緑が輝いています。まだ時間も早いためか人でもなく、それでもほとんどのお店が店開きしています。さすがです。軒先に大きなヘチマやヒョウタンがなっているお店や、アサガオやサンパラソルが絡まって咲いている家、格子戸や壁に綺麗に盛った生花ををかけている家など、古い家並みを引き立て、道行く人を楽しませてくれます。 街道を彩る花のアルバムへ
 江戸と京を結ぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから木曽街道とも言われ、東海道の川の氾濫を心配して女性がよく利用した道だそうです。でもこんなに峠が多くて、いくら籠に乗っていたとしても、どんなにか過酷な旅だったでしょうか。脇本陣に籠がありましたが、本当に小さな籠で、この中に何時間も座って、何日も揺られるなんて、想像しただけで気が遠くなります。
 妻籠本陣に入ってみます。本陣には島崎氏が任命され、明治に至まで本陣、庄屋を勤めたこの家は島崎藤村の母の生家で、次兄広助が養子に来て最後の当主でもありました。小説『夜明け前』の青山寿平治(与次右衛門重佶)の家でもあります。明治に入って取り壊されてしまった本陣を、町並み保存に伴い、島崎家の絵図を元に復元されたそうです。広さと言い、建物と言い、この山奥の本陣としては立派な物です。家人は普段下段の間だけで生活し、写真の上段の間は偉い客人だけが。妻籠宿本陣のアルバムへ
 だんだん人出も増えてきて、少し賑わってくる。こんな町並みはせめてこの位の人出の時に歩きた いもの。あちらこちらのお店を覗くのも楽しい。こちら漆器も多いけれど、木曽檜の桶やまな板など無垢の木の製品も多く、店内には檜の良い香り。山に囲まれふんだんに木があるにもかかわらず、木曽檜を大事にした天領(幕府の直轄地)にあったため、、「檜一本、首一つ」と言われたほど厳しく、庶民には近くてほど遠い木だったにちがいない。特に大事にされた木曽の五木「ひのき」「あすなろ」「ねずこ」「さわら」「こうやまき」 が鉢植えで置いてある。悠仁さまのお印がこの高野槇なのかと見る。私は檜の押し寿司器を買ってみた。段々手に袋が増えてくる。写真は枡形(敵の侵入を防ぐために道を直角に曲げてある)に続く道。妻籠宿 町並みのアルバムへ

脇本陣の紹介はまた明日

Aug 26, 2008

小さな夏休み 妻籠宿の民宿に泊まる

 国道19号線を木曽川沿いに南下。高速道路が高いので、長距離トラックがこの道を利用すると聞いていましたが、本当に上下線ともトラックが多く走っています。19号線から256号線に入り、直ぐにまた左にはいるとそこはもう妻籠。今夜の宿は水車小屋の方に入っておくの「大吉」さん。お部屋に荷物を置いて直ぐにお夕食。蕎麦寿司や馬刺し、イワナの甘露煮など美味しかったです。ご飯は美味しい赤米でしたが、おかずも多く、お昼のイタリアンも効いていて、ほんの少ししか食べられませんでした。残念。


  食前酒で乾杯!窓の外は木曽の山が見え、蘭川(あららぎがわ)の流れの音が聞こえます。

 お夕食の後はお散歩に。ほとんど人に会わず、水の流れの音と、ほのかに点る街頭の灯りだけ。宿が端の方なので、ちょうど反対のはずれまで行って帰ってくると良い運動です。でも今日食べた量を消費するだけの運動にはなっていませんねー。

    

小さな夏休み なじみ深い奈良井宿から

 ゆっくりとランチを取ったので、今日は贄川宿、平沢をパスして19号線を南下して一路奈良井へ。
 夏休みも終盤なので、人も少なく静かな奈良井宿を歩きます。中山道十一宿のうち北から2番目で難所の鳥居峠を控えた宿場町。かつてはその様は「奈良井千軒」と謳われ木曽路一番の賑わいだったそうです。島屋漆器店のおばあちゃんも健在でお店に出ていました。今回はここで片口を買いました。ドレッシングやタレをかけるのに便利そう。松屋茶房さんのママもお変わりなく、可愛いわんちゃん2匹がファミリーに加わっていました。
 今回は初めて大宝寺の「首のないマリア像」を見ました。キリシタン禁制時代、マリア像を子育て地蔵と隠し奉った物ではないかと言われているそうで、昭和の初期に地元の方が藪の中から見つけ出したそう。首は取られたのか、自然に落ちたのか??この大宝寺は臨済宗妙心寺派の古刹だそうで、築山式の庭園は苔が綺麗でした。

            

 ここに来る度に我が家に漆器が増えていきます。高級な物は買えないけれど、日常の中に漆器がちょっと加わるだけで食卓が潤いをますように感じるのは私だけでしょうか。今はマイ箸ブーム。早速半分つなぎになるマイ箸もゲットしました。そして漂白剤の心配のある割り箸は止めて、エコにもなるので使い捨ては止めようと塗りのお客様用箸も買いました。奈良井川に沿って約1kmの中山道沿の町並を歩いて、同じ道を戻ります。
 ここから妻籠まで更に1時間は掛かります。宿のお夕食に間に合うように、お買い物もほどほどに奈良井を後にします。


奈良井宿のアルバムへ

小さな夏休み プロローグはイタリアンで

 お客様をお見送りしてから、急いで旅支度。と言っても1泊ですから、1日分の着替えくらいですが、何故か車だと我が家は荷物が多くなるのが悪い癖。
マイペースな娘のお尻を叩きながら、主人はコースとお昼食べるところと、宿の検索。私は荷物をまとめ係。今夜の宿は妻籠宿の中の民宿に決めて、1時に塩尻のレストランを予約して、12時やっと出発。
 塩尻から木曽に向かって右に入り住宅街の細い道を行くとそのお店はありました。「予約してください」と言われたとおり、ランチも混んでいて、丁度ランチを終えた人が次々出てきます。入れ替わりに私たちが入りますが、またすぐいっぱいに。お夕飯も宿で沢山でるといけないので、お昼はパスタランチに。サラダ、パスタ、ドルチェ、ドリンク付きで1470円位だったかしら。お隣には自家畑もあって、サラダは3人前がどーんと大盛りで。色々な野菜が入っていて楽しくて美味しい。器はみんな土の香りのする陶器で、これも地元「洗馬焼き」とのこと。雰囲気はイタリアの片田舎の店かな。パスタのゆで加減、ソースとも満足。見た目より量が多く、ドルチェの入る余地が心配なくらい。運ばれてきたドルチェは3種類がワンプレートにのってくる。その一つ一つがお花があしらわれて、見た目も綺麗で美味しそう。「パンナコッタにスティックパイ添え」、「バニラアイスとガトーショコラとスティックパイ添え」、「桃のシャーベッと自家製プリン、スティックパイ添え」とみんな違うもの。ここは血みどろの戦いを避けてジャンケンで勝った者から好きな物をを取る。最後はエスプレッソや紅茶で締め、うーーこれで1500円しないとは。

Apr 02, 2008

京都2日目 平安神宮〜高台寺〜河原町

 やっとやっと暖かく感じるように、いえ、歩いていると暑く感じる陽気になりました。 今日が春の旅の最後。私はいつも違うところへ行きたい派。主人は以前行って良かったところ訪ねたい派。でも今回は山辺の道、當麻寺、宇治・平等院と私の行きたいところは行ってくれましたので、最後は主人が行きたい平安神宮、高台寺周辺へお付き合いすることに。
 平安神宮は枝垂れ桜コンサートで枝垂れ桜も、コンサートも素晴らしい思いをしていますので、それ相応の期待をしてしまいます。でもやはりここの桜はまだ早いようです。外から見える内苑の枝垂れ桜は、まだ枝が赤く見える程度で咲いていませんでした。中から出てきた方に聞いても5分以下とのことで、今回はガッカリしないためにも苑内に入るのをやめました。
 でも今日は大極殿の前の右近の桜が満開で、左近の橘も実を付けていました。3,4回来ていますが、花と実を一緒に見たのは初めてです。そしてこちらは『桜おみくじ』の花。 私も願い事を書いて、一片の花を添えてきました。
 ここから途中で昼食をすませて、東山方面へと歩きます。
岡崎疎水ではお花見屋形船もみかけました。また視線が変わって良いでしょうねー。美味しいお料理付きなもっと良いですね。
 智恩寺に出ましたので、ここから寄り道しながら行くことに。今回はいつもより一層多くの着物を着た若者達を見かけました。それにカップルで着物を着て歩いている姿が多く、微笑ましいです。着付けも半幅帯で、浴衣感覚の着付けなので、きっと着物に慣れない若者でも楽に過ごせることでしょう。こうやって古都京都を歩くときだけでも、日本の伝統衣装に馴染んでもらいたいです。という私も最近はもっぱら山の恰好で歩いていますが・・・・やっぱり着物で歩きたいです。
         
                
                        知恩院
 さらに円山公園を抜けます。人が凄くて、一気に通り抜けたいのですが、主人はちゃんとここのしだれ桜を撮り、大道芸を見てから進みます。

 さて、次はねねの道を通り、高台寺へ。ここは北政所が秀吉の菩提を弔うために、慶長10年(1605)に開創したお寺です。ここへは紅葉のライトアップの時に来ただけなので、昼間の高台寺は初めてです。桜は多くはありませんが、方丈前のしだれ桜は絵になります。でもライトアップ用の小さなランプがちょっと邪魔かな。


 高台寺では早くもシャクナゲが咲き、大木のアセビも綺麗でした。
最後に二年坂から清水さんに行こうと思いましたが、途中でお土産を買って、河原町へと歩きました。今夜は夜行バスで帰るのだから、のんびりと・・・といっていたのはどこへやら。今日もクタクタになるまで歩き、娘と食事をして、急いで荷物を詰めてバスに乗り込みました。リクライニングにする間もなく寝入ってしまったようです。 今回は4泊と短かったのですが、なんだか長く旅行をしたような気がしました。
帰ると八ヶ岳のお花見が始まることでしょう。

Apr 01, 2008

京都1日目 醍醐寺 宇治・平等院

 奈良より桜の開花が遅れていた京都ですが、私たちが奈良を旅している間に大夫咲いたようです。
今日は醍醐寺に向かうことにします。霊宝館の枝垂れ桜は、他の桜より早く咲くからです。
思った通り、醍醐寺・霊宝館の桜は今が見頃とばかりに、「見て、見て」って咲いていまいた。
醍醐寺の桜といえば1598年3月15日の宴。北の政所(ねね)や淀殿(織田信長の妹お市のかたの子供茶々)を引き連れて開いた「醍醐寺の花見」で有名です。
今日は秀吉とねねになった気分でお花見を・・・とはいきませんが。
   
樹齢180年の枝垂れ桜 。まだ大丈夫?            樹齢150年の桜
               
京都市内で最大と言われる樹齢90〜100年、幹周りは3.25メートル、高さ11メートルのソメイヨシノ
醍醐寺の桜と言えばもう一つは「土牛の桜」。お隣三宝院にある桜で、こちらは樹齢100年で、見事に枝をひろげた桜。去年こちらは一番良いときに写真を撮ったので、今日は省略。
      0>
                        昨年撮った土牛の桜
 こうして醍醐寺は八ヶ岳となにかと縁があるような気がします。昨年、ここで清春の桜をこよなく愛した岸田夏子さんの桜の絵に出会い、奥村土牛は八ヶ岳の麓・八千穂村に土牛美術館があります。私たちもそこを訪れたことが有るのですが、「土牛の桜」は有ったかどうかは覚えていません。今度行った時にはよーく見てきましょう。

                醍醐寺の外壁から溢れる桜、桜、桜
 さー、雨月堂でお昼をいただいて、他の桜も楽しんだら、さらに南下して宇治へと迎います。
 京阪宇治駅に降りると右手に蕩々と宇治川が流れています。今日は上流のダムで放流しているせいか強い流れです。ずっと来たかった宇治にやっと来られました。
宇治川沿いは桜満開のようです。後で歩くのを楽しみに、平等院へと。平等院は修学旅行できているのでしょうか?もう記憶にも有りませんが、今回の第一印象は思ってたより小さくて、老朽化が進んでいるとことでした。もっときらびやかなものを想像していたのは、創生当時の復元図をどこかで見て、 その印象が強かったのでしょう。しかし朽ちてはいるものの、そのきらびやかさは池の中に浮かぶ姿の美しさに表れています。また、阿弥陀堂(鳳凰堂)の中に立てば、ミュージアムで見た復元した極彩色の映像が、そのままここに再現されて、私の目に投影されてきます。鳳凰堂の池に面する格子が一部抜けています。これは池の向こうに立つと、阿弥陀如来座像のお顔がそこに見えるようになっているのです。写真は池の向こうから見たお顔。昔、この阿弥陀堂に入ることが出来なかった人々が、外からもお顔を拝むことが出来るようにという配慮でしょうか。
 いま銀閣寺の修復で、創建当時のように漆を塗ると、いまの侘び寂びのイメージがこわされるとの寺側の意見らしいですね。この鳳凰堂の中に立って、そのことが急に思い出されました。ここの老朽化も激しく、壁画などは当時の面影をほとんど見ることが出来ません。もしここが創建当時のようにきらびやかな極彩色で飾られるとなった、これもまた反対するのでしょうか。朱がが剥げ、木が向き出しになって、いまにも朽ちそうなここを見て、銀閣寺もそれが創建当時の姿であるならば、漆で被うべきでは・・・と思うようになりました。 この漆に月の光が反射して建物が銀色に見えたことから「後に」銀閣と呼ばれるようになったということだし。漆は器でも分かるようにとても強く、木を守っています。漆を塗ったのは先人の知恵ですね。


      しだれ桜と鳳凰堂             鳳凰堂と呼ばれるゆえんの美しい鳳凰
 ゆっくりと平等院を見て、夕暮れの宇治川沿いを散歩している内に陽が傾き、夕日が桜を茜色に染め始めました。風もちょっぴり冷たくなって来ました。今日は醍醐寺にも平等院や宇治にも大満足。帰りはJR宇治駅から京都駅へと戻り、河原町で娘と待ち合わせ。お寿司を食べて帰ります。

Mar 31, 2008

奈良3日目 當麻寺(たいまでら)

  雨も上がって、青空も見えてきた。 今日は夕方までに京都に戻るので、余り時間がない。長谷寺にするか、まだいったことのない當麻寺にするか迷ったが、結局新規開拓で當麻寺に。
ところが思った以上にローカルで、行くのに時間がかかりました。
南大阪線各駅停車で着いた当麻寺駅を降りて、草餅で有名なお店を右に曲がり、あとは一直線に二上山麓のこんもりとした麻呂子山に向かうと當麻寺があります。山門までの道は、新旧の家が入り交じっているものの、奈良のどこも町もそうであるように、家の周りも町並みも整然としています。そしてみんな家が立派。新築でも古い家にこだわった作りが多いですね。
 さて、 花のお寺として有名で、いつか来たいと思っていた當麻寺に到着。仁王門では髭を蓄えた(これも珍しいらしい)仁王様にむかえられる。そこからは広々とした空間の左右に名園を持つ塔頭寺が並び、それぞれに拝観料がかかる。左右の庭園で呼び込みのようなことも見受けられる。取り合えず左手の東塔、西塔を撮りながら本堂へと向かい参拝。お寺の方がカメラを持っているのを見て、 本堂裏手の西南院に行くと、當麻寺の東西両塔(三重塔)が同時に眺められますよと教えてくれる。それにつられて、大事な曼荼羅を見るのを忘れて西南院へ。これから咲くぼんたん園を見ながら奥の展望台へ行くと、両塔が見えました。双 塔が創建時のまま揃うのはここが全国唯一です。次に東塔の下に名園が広がる中之坊に入り、丘の上の東塔を桜越しに見上げるように眺めながら歩きました。
まだまだこの近辺をゆっくりと見たいのですが、今回の奈良の旅はここで終わりです。次に期待を残し、『中将堂本舗』さんの「中将餅(ちゅじょうもち)」を買って、ギリギリセーフで電車に乗り込みました。一路京都へ。


        

Mar 30, 2008

奈良2日目 斑鳩の里

 今日はいつ降り出してもおかしくないお天気に、どこへ行くか迷いましたが、近場の斑鳩の里に行ってみることに。法隆寺は行っていますが、その周りはまだ未見です。
この辺りは近鉄線では行きにくいところで、今日はこれもフリーで乗れる奈良バスで行くことに。
「奈良・西の京・斑鳩回遊ライン」というバスが走っています。バスの色も柄も特徴的で[ 正岡子規が詠んだ句『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』にちなんだ柿色のボディに、斑鳩三塔のシルエットと奈良公園を連想させる若草色を背景に群れ遊ぶ鹿を配した」となっています。一時間に一本のバスですから乗り遅れないように。私たちは終点・法隆寺駅まで行かずに、法起寺前で降ります。
 法起寺は小さなお寺で、聖徳太子が建立した7寺の一つで、ここにある塔は、現存最古の三重塔で、創建は慶雲3年(708)だそうです。少し離れたところから撮った姿が有名です。雨が降り出したので、写真を撮るのもレンズを拭きふきです。
          
 次は法輪寺に向かいます。こちらは桜が満開で、遠くからも桜が溢れて見えます。こちらの三重塔も日本最古といわれていましたが、落雷で喪失して、再建されたものです。素晴らしい桜が優しく包み込むように咲いています。また、ここに詳しい方のお話しでは、この桜と、塔の横に咲くピンクの椿が同時に咲いたのは10年ぶりだとか。いつもは必ずずれて咲くそうです。
     
雨にうたれながらシャッターを押していると、ウグイスがうるさいほど耳元で鳴きます。
 今日はゆっくりと出てきたので、3カ所目の法隆寺に着いた頃はすっかりお腹もぺこぺこ。夢殿だけ見て、まずはお昼を食べてから、ゆっくりと法隆寺を参拝します。イカルという鳥の名に由来を持つ斑鳩(いかるが)の地に建てた斑鳩寺が法隆寺の始まりです。我が家で毎日沢山の餌を食べていくイカルが、かってはこの地に沢山飛んでいたのでしょうか。今日見かけた鳥はウグイスとセキレイとサギでしたが。

    
 再び法隆寺から例のバスに乗って戻りますが、帰りは薬師寺で降りて、春の特別公開・玄奘三蔵院伽藍・ 大唐西域壁画殿(平山郁夫画伯筆)を見て帰ります。金堂の薬師三尊像のうち、月光菩薩さんと日光菩薩さんは今、東京の国立美術館に出張中でお留守です。代わりに写真のお姿でした。でも何故か拝観料は変わらす、玄奘三蔵院伽藍が公開中なので、むしろ高くなっていました。でも私たちは、直ぐ近くに「平山郁夫シルクロード美術館」があるので、期待していたほどの感激はなく終わりました。むしろ、いつもの楽しい法話を娘に聞かせたかったのですが、今日は時間的に終わっていました。
 この後唐招提寺から西大寺まで歩く予定でしたが、雨足が強くなったので、近鉄線に乗って、今日のホテルのある奈良駅へと戻りました。

Mar 29, 2008

奈良1日目 いにしえの路

 朝、夜行バスで京都に着き、娘と合流。
京都に降り立つと、お天気はまあまあ良いのですが、気温は低く、これでは桜もまだ開かない(ネットで調べてきたところによるとどこもまだ蕾)だろうと、桜は諦めて近鉄・世界遺産フリー切符を買い、まずは飛鳥駅へ向かいます。ところがどうでしょう、車窓から見える桜は綺麗に咲いているではありませんか。嬉しい誤算です。
飛鳥駅からは明日香めぐりバスを高松塚古墳まで乗り、古墳から橘寺、岡寺、石舞台へと歩きました。これで3度目の明日香ですが、何度来ても良い道です。橘寺と岡寺は初めてです。
 高松塚古墳から橘寺までの道は以前にも歩きましたが、夕暮れで時間切れとなり、橘寺まで到達しなかったのです。前はみかんの白い花が咲いて、良い香りが漂う道でしたが、今日は道のあちらこちらでみかんや ハッサク、苺が無人で売られています。勿論素通りするわけもなく、早速苺を買い、直ぐに食べましたが、冷たくて甘くていい香りです。近くではウグイスがいい声で鳴いています。
 道々の桜は2分咲から8分咲、満開に近いものまであり、なだらかな丘陵と美しい瓦屋根が寄り添う家並みにピンクの桜と菜の花が色を添えています。古墳からのんびり歩くこと40分で咲き始めたばかりの桜に 囲まれた橘寺が見えていきました。聖徳太子生誕の地として知られていますが、不老長寿の薬を求め、海を渡り種を持ち帰り、その種をまくと芽が出たのが橘(みかんの原種)であったそうな。それでこの辺りはみかんの木が多いのですね。

 岡寺は山門をくぐってから民宿やお茶屋さんの並ぶ道を登っていくと、朱塗りの三重宝塔が見えてきて、こちらも桜がお出迎え。も う五分咲でしょうか。岡寺は明日香村の東、岡山の中腹にあることからの名前で、正式には東光山 真珠院 龍蓋寺というそうです。山の中腹らしく小さな流れのある山道に沿って石塔やるり井(井戸)、彌勒堂等があり、 流れの縁を見るとピンクの猩々袴が咲いています。「あっ、青い鳥!」と私が声を上げると、すかさず主人が「ルリビタキだ」と。この辺り一面シャクナゲで覆われており、是非今度はシャクナゲの時期に来たいものです。遊歩道を一周すると高いところからは二上山を見渡すことも、境内を一望することもできます。今 は紅白の椿も咲き、色鮮やかです。飛鳥が初めての娘にはどうしても石舞台は見せなくてはと最後に石舞台まで歩き、お花見と観光で賑わう中、ぐるりと一回り。観光地化しているものの、中にも入れる石舞台を見ると、見事なバランスで石と石が作る空間に何故か古代のロマンを感じるのです。
 ここを出ると、丁度櫻井駅南口行きのバスが来ました。これに乗って、次は山の辺の道の入り口、櫻井へとむかいます。
 さて山の辺の道は初めてのところです。そして私のたっての希望です。駅の案内で地図を貰い歩き始めますが、初めは街中を歩くので、飛鳥で疲れた二人はちょっとへこたれています。お昼も食べたし、岡寺のお茶屋さんで葛きりやにゅーめんも食べたばかりですが、ここは馬にニンジンです。コンビニに入り、好きなおやつを買うしかなさそうです。やがて車は通れない細い道となり、金屋の石仏のところに綺麗な桜が咲き、ベンチもありました。この桜の元でおやつです。おやつの力は凄いもの、それにここからは開基を聖徳太子と伝え、「永遠の平和」を祈願する霊場(大三輪寺)として創建された平等寺や稲荷社、大神神社と続き、他二人も結構興味深く歩き始めました。三輪駅から入る人が多いようで、初めは閑散としていた山の辺の道もこの辺りまで来ると結構なにぎわいです。日本最古といわれている大神神社(三輪明神)は屋根の曲線が素晴らしく、しばし見とれてしまいます。本殿 は設けず拝殿の奥にある三ツ鳥居を通し、三輪山を拝するという、原初の神祀りの様が伝えられているそうです。

さらに進むと若宮社が有り、更に久延彦神社(くえひこじんじゃ)があります。「知恵の神社」と聞いては行かなくてはなりません。竹林の中の薄暗い石段を登ると神社は明るく、見晴らしが良い神社です。でも更に登ると見晴らし台があり、そこからは大和平野を一望でき、その向こうには右の左金剛山〜二上山まで見えます。振り返ると直ぐそこに、ご神体である三輪山(467m)がせまっています。

ここから「病気平癒・身体健康の神様」 である狭井神社(さいじんじゃ)へ。ここには古くから知られる薬井戸が有り、多くの人が水をくみに来るようですが、ボタンを押すと出るようになっているには驚き。また大神神社と狭井神社で行われる鎮花(はなしずめ)祭は、疫病を防ぐ祭で、春に花が飛び散る時に疫神が分散して病を運ぶので、それ鎮圧するためだそうですが、何だか現代の花粉症を予告していような気がしてなりません。

 さー、今日も良く歩きました。 平和を祈願し、知恵を頂きましたが、何よりも健康が一番です。最後に狭井神社で健康を祈願して今日の旅を終えます。
今度はシャクナゲの時期にきて、三輪山にも登ってみたいです。

今夜のホテルは奈良新大宮駅近くです。ホテルにて