八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : “どーも どーも” その日が来るまで

Oct 25, 2011

“どーも どーも” その日が来るまで

  震災で延期なった小田和正コンサート「KAZUMASA ODA TOUR 2011“どーも” その日が来るまで」の日がやっとやっとやって来ました。
仕事の後、11時に小淵沢出発、3時に新横浜のホテルに到着しました。その間はずっと「どーもどーも」のCDを聞きながら。アリーナから5分ホテルなのでとりあえずブラブラ行ってみると、5時30分開場なのにもう長い列ができています。なんなのか聞いて見るとS席のチケットを持っている人はここに並んで申し込むと抽選でオンステージ席に行けるそうです。でもどんな席か聞くと、舞台裏で小田さんの背中を見るような席と言われ申し込まずにホテルに戻りました。でもコンサートが始まって分かったのですが、舞台裏ではなく舞台上(そうよね、オンステージだものね)の演奏者の直ぐ後で聴ける席でした。最後尾のプラカード持っているお兄さん、もう少し上手い説明してね。主人はそれを見て音響的に良くはないから嫌だと言っていましたが、そこは小田さんが目の前に来てくれるし、本当に間近なので私は応募する価値あったかなと思うのですが。
 さて少し休んで早めにホテルを出て、近くのイタリアンでゆっくり早めの夕食を済ませ会場に。もう溢れんばかりの人でした。私は若いときから憧れの芸能人を追っかけるとかしたこと無いので、この様なコンサートは初めて。でも見渡せばみんな私たちぐらいの人が多く少しホットし、わが家のように2世代、3世代の家族もいます。小田さんのファン層が厚いのですね。
  単独アーティストとしては国内外問わず最年長のドームツアーとなっており、延期なった今回は長野に始まり横浜で終わりです。私たちは長野でもよかたのですが、やはり地元横浜が盛り上がるだろうと横浜アリーナにしました。勿論大正解。他は見ていないので比較はできないのですが、、私が大好きな「MY Hometown」は横浜でしか歌わないそうなので、それを聞くために横浜へ来る人もいるとか。今日も30曲は歌ったと思うのですが、アンコールでも、更に延長戦でもそれが出てこなかったのですが、最後の最後にはやはり「MY Hometown」で大盛り上がりです。涙がでてしまいました。チケットが手にはいると分かった2月からずっとずっと3人で楽しみにしていた一大イベントが終わってしまい、なんだかみんな体の力が抜けてしまいました。今までのどんな海外旅行よりも何よりも、一番みんなで楽しみにしていたような気がします。コンサートの様子は波留美談話室にのせてあります。

「MY Hometown」
ここで夢を見てた。
この道を通った。
出来たばかりの根岸線で君に出会った。
まだ人の少ない朝の駅のホームで待ち合わせた短い時,次の電車が来るまで。
マイホームタウン マイホームタウン
海に囲まれてここで生まれた。
僕らの好きだったあの店ももうない。
あの頃の横浜は遠く面影残すだけ。
マイホームタウン マイホームタウン
どんなに変わってもぼくの生まれた街。
どんなに変わっていても・・・。
あの頃ここはぼくらの特別な場所だった。
今でもここに来れば丘の上ぼくらがそこにいる。
マイホームタウン マイホームタウン
海に囲まれてここで生まれた。
あの頃僕らはこの場所で,う〜う,夢を見てた。
どんなに離れていてもまたいつか来るから。