八ヶ岳 「ペンションあるびおん」の日々 : 小さな夏休み 妻籠脇本陣(屋号・奥谷)

Aug 27, 2008

小さな夏休み 妻籠脇本陣(屋号・奥谷)

 妻籠宿のそぞろ歩きの最後は脇本陣に入ってみます。本陣は一度取り壊されて、その後近年復元されたものですが、こちら脇本陣は代々林家が勤め、木曽五木の禁制が解かれて、明治10年に総檜に立て替えられて、それが現在まで残っているものです。囲炉裏の間から上がりますが、黒光りした床や黒々とすすけた太い柱。まずは2階をご覧下さいと言われ、二階から見学。おりてくると「よろしければ少しお話をさせていただきますが」と声の綺麗な女性が声を掛けてくださいました。            
 囲炉裏端に座ってお話を聞きますが、まずは座る場所の説明から。この方が座っているのが下座で、私たちが座っているところが上座です。タンスの前は女性の席で、ゴザをめくると半分は畳がなく板の間で、ここは嫁の席です。そして囲炉裏にくべてある薪を見ると、上座にすべて火のついた方が向いています。これは当主に暖が行くように。そして下座に衝立があるのは、これで風を防ぎ、当主に煙が行かないようにとの気遣い。実際煙にまみれているのは説明係の女性です。流暢な説明に納得もし、封建時代の厳しさを感じましたが、果たして我が娘は何を感じているやら。そして次に実際上座と下座に座って暖かさの違い、上座の前に置いてる一本の木で、いかにあぐらをかきやすいかを体験してみます。

         もしも我が家にこの囲炉裏があったら、誰がこの席に座るのかな?
 次は立って各お部屋の説明です。明治13年の明治天皇御巡幸のおりに休憩をされたお座敷には古い机のようなガタガタのテーブル。当時洋式のテーブルがどんなものか分からずに、にわか仕立てで作ったそうです。天板をひっくり返すと墨で天皇陛下がご使用になった旨が書いてあるので分かるものの、そうでなければ捨ててしまわれそうなテーブルでした。それに井戸水を汲んだ桶、一度も使われなかった白砂を敷いた厠等が残っています。確かその頃明治天皇は我が家の近くの七賢にも・・・と言うと「そうです、山梨からこちらにいらっしゃったのです」と。
 そしてここが藤村の「初恋」のモデルになったおふゆさんの嫁ぎ先でもあります。おふゆさんの愛用品や、絶筆となった藤村の貴重な資料等も展示してありました。あまりに説明が細やかで流暢なので、ここでお話に聞き惚れ、写真を撮るのを忘れました。形なけれど、色々勉強になること沢山聞かせてくださいました。感謝。
 妻籠の近くには、木曽川の発電所開発を行っていた福沢諭吉の養子・福沢桃介が別荘として大正8年に建てた建物が残っているそうです。ここには行きませんでしたが、民宿の大女将さんの話では、「日本の女優第一号」とも言われる川上貞奴が、夫・音二郎の死後、福沢桃介と再会し、以後パートナーとしてここで共に暮らしており、時折舞踏会が開かれ、村の子供達がそれを窓からのぞき見てビックリしたとか。そんな話を聞くと、この山深い木曽の地に、藤村の書いた「夜明け前」と「夜明け後」を見る思いがします。